ファーストラヴ(島本理生)

ファーストラヴ

ファーストラヴ

第159回直木賞受賞作。ややネタバレを含みます。

ひとりの女性がおよそ20年間に渡って、いかに傷を負いながら生きることを強いられたか、という物語を様々な人物の言葉や記憶から描写。彼女が殺人の疑いで逮捕されたとき、報道が伝えた「動機はそちらで見つけてください。」という挑戦的な言葉も、いかにもメディアが脚色しそうなフレーズだと感じた。
人は、社会的ないきものである。それゆえに、その場の雰囲気や、圧力に、同調しようとする。あれ、と最初に感じた違和感も、次第に慣れ、薄れ、何も感じなくなっていく。それがわかりやすい暴力でなければなおのこと。たとえば、飲み会の席で、性的な言動がなされ、自分が不快に感じたとしても、そこにその言動を許容する雰囲気があったとき、どれだけの人がそれに抗議できるだろうか。それが家庭内のことであれば、なおさら。それでも、傷を負わなくなるわけではない。血は流れ続ける。おそらく多くの女性が成長過程で受ける性的な抑圧を、丁寧に描いており、とても関心を持って読んだ。
物語としては、やや藪の中様の結末であるようにも感じられるが、この小説は、真実がなんだったかを、ことさら明らかにすることを目的としたものではないのだろうから、これでよいのだと思う。裁判を通じて、自分の思ったことを言ってよいのだと、初めて感じることができたという彼女の言葉が、とても重たい。

白ゆき姫殺人事件(2014)

井上真央主演。湊かなえ原作の同名小説の映画化。主人公は殺人事件の容疑者としてネットで晒されてしまう。


ネットをうまく使っている映画やドラマはあまり見た覚えがない。電車男くらいだろうか。今作はtwitterのつぶやきが火種となりひとりの女性があっという間に事件の容疑者扱いされていく様子が描かれている。
ネットのつぶやきが激化し、個人のプライバシーが特定されていく様子など、まぁまぁうまく描けていたが、どこか全体的に物足りなさが残る。最近はアイドルのプライベートアカウントが特定されて、そこから情報がリアルタイムで流出したりする時代にあっては、やや生ぬるい印象はぬぐえない。もちろん一般人にとっては、ネットに個人情報が晒されるだけで十分なショックではあるのだが、この辺は現実は小説より奇なりといったところか。
主人公扮する井上真央の周囲の扱いもいまひとつぴんとなこない。井上はメイクや挙動不審な言動などで役作りしていて、たしかに地味な女性を演じ切っていたが、メガネをかけている彼女はふつうに魅力的だし、現実に男性にモテたりするのは彼女のような人なのではないか。(実際そうだったが描かれていないだけかもしれないが。)性格的に女性を敵にまわすようにも思えないので、なぜ安っぽいTV局の契約社員のインタビューに、あそこまで都合のいい証言がそろうのかも説得力がない。


サスペンスとしてはミスリードあり、どんでん返しありで楽しめる要素は多い。個人的には「藪の中」のようなエンディングを予想していたが、ちゃんと結末が用意されていたのもよかった。
小学校時代のエピソードから、ラストに連なる幼馴染との邂逅はぐっときた。

渋谷

きのう久々に渋谷行ったらハチ公前に日の丸がたくさん。
紅白に韓流グループが出演するのに反対していたらしい。
おもしろいなぁ。
もともとあそこに集うような人向けに番組作ろうとはしてないでしょ。
個人的には、韓流ユニットが日本語で歌うのは違和感があり、韓国語が無理でも英語じゃね?と思うけれど。

プリンセス・トヨトミ的な

大阪W選挙、投票〆切直後8時の時報で決着。橋下氏松井氏当確。
私はやはり橋下さんは苦手だな。当確後にマイクを向けられたら「市職員は覚悟しておけ」だかんね。府知事時代にいろいろあったんだろうとは思うし、まぁ市職員向けというよりもファンへのリップサービスみたいなもんで、こういう人の得意技だとは思うけれど。うまいよね、敵を設定して自分を正義の側に置くの。いまどきの公務員はたぶんそんな強敵じゃないと思うけど…。議会の方がアレかな?
とりあえず自分の上司にはノーサンキューですな。でも何してくれるかは興味あるから遠くから見ていたい。

きょうはよくテレビで大阪城を見た。赤く燃えた城と瓢箪を思い出して、独立するところまで行っちゃわないかなぁとか思った。

ところで、公務員が叩かれなくなったら(叩きようがなくなったら、というべきか)こういう人たちはどうするんだろうねえ。叩く先なくなって困るよねぇ。というわけで、私は公務員を叩くことで名声を得る人が行政のトップになることについて意味を見出せません。彼らは公務員改革を本当にやり遂げてしまい、公務員が叩かれる対象でなくなったら困るからです。だからいつも中途半端なメスの入れ方をして、「公務員の抵抗にあって改革が達成できなかった」とか言ってるような気がするのです。ちょうどヒーローが悪の組織をぜったいに根絶やしにしないように。やるなら徹底的にやればよろし。「覚悟しておけ」なんてパフォーマンスはいらんよ。

最近のドラマたち

新たなドラマが始まると次期のドラマが気になる俺はどうかしてると思う。
来期は野島伸司という話もあるようで、最近の野島脚本はなんだかなぁと思いつつ、次は最高傑作かもしれないという期待感は捨てることができず、また大いに期待してしまうのである。
ショートヘアガッキーを鑑賞できる「らんま1/2」も楽しみであるが、NHKドラマ「蝶々さん」への宮崎あおいの力の入れようは宮崎の公式ホームページを見ていると、これでもかというくらい伝わってきて、否応なく期待が膨らむ。実に楽しみ。

気づいたら、今クール連ドラで見ているのは「南極大陸」「家政婦のミタ」「秘密諜報員エリカ」「相棒」だけであった。時代は反フジテレビ、反韓流らしいのだが、あまのじゃくなせいか、実は「僕とスターの99日」がとても気になっていたのだが、1話を見逃してしまったのと、「南極大陸」と時間が被っているので、今からそこまでして見ることないかと諦めてしまった。女優は美人だし、俳優の雰囲気も好きだし、わりと面白そうだと思うのだが、韓流だというだけで敬遠されてしまうのであればもったいないなぁと思う。裏が強力というのは仕方ないが。

「それでも、生きてゆく」最終話を見終えて

瑛太満島ひかり主演。他に風間俊介風吹ジュン時任三郎大竹しのぶ

私が誰かとつないだ手のその先で,誰かがあなたの手をつなぎますように。思いが届きますように。悲しみの向こう側へ、進め、進め。

すばらしいドラマだったと手放しで褒められるものばかりでもなかったけれど,ドラマの目指したところ,その志の高さは評価したい。視聴者としては,最後の結末くらい素直なハッピーエンドで良かったんじゃないかと思うし(あれはあれでハッピーエンドだと思うけれど),ちょっといろいろなことにケリがついてないようにも思えて。もちろんこういうことは実際に多々あることで,状況として何かが変わったわけではなくても,自らの内面の問題に一段落を付けて,前へ進まなければならない,そういうことがあるのは分かっているんだけれど。それでもこれが作り物である以上,そういう分かりやすい結末を見てみたかったという気持ちは残る。

双葉の出した「まじめに生きる」という結論は,加害者の家族として謝罪の気持ちをまっとうすると言い換えることができるだろう。15年前の事件ではできなかったことを,今度はやり遂げようという思いであるが,並大抵の決意ではない。「死なせてしまったら,もう償えない」と彼女は文哉に言ったが,償えなくてもやらなくてはならないことをするのが,彼女にとってまじめということだったのだろう。個人的な感想を言えば,それを背負うのは双葉ひとりの問題ではないし,そうあってはならないとさえ思う。

文哉の人格的な問題については特に感じることはないが,不思議なのは事件を起こすまで誰もその兆候に気づかなかったのだろうかという点である。友人であった洋貴と文哉は,どのような友人関係を築いてたいたのだろうか。文哉の学校生活はどんなだったのだろうか。家庭で文哉はどのように過ごしていたのだろう。文哉は事件を起こすまで,その辺にいる,ふつうの中学生だったのだろうか。いろいろ想像を巡らせれば,いろいろな要因があったのではないかと考えることはできるが,それは物語であまり語られず,ただ分かったことは母親の死が決定的に文哉に影響を与えていたということくらいである。それが自殺だったのか事故だったのかというのは些細なことで,いずれにしても家庭をあまり顧みなかった父親への憎しみや,その後の父親の再婚,そして義母に新たな命が宿ったことなど,文哉を刺激する事実はいくらかあったことは確かである。しかし想像するしかない。
文哉はよく「僕は悪くない」という。その言葉からは,むしろ自分が悪いことをよく分かっているようにも感じ取れる。特に最終話で洋貴と拘置所の面会室で対話したときの言葉からは,そのように感じた。そして母親の写真を見て流した涙。母親の実家まで行って見つからなかった母親の写真。彼はまた人の心を取り戻せるだろうか。もし心を取り戻せたとして,それからが文哉にとっては本当の試練になるんだろう。

物語の前半では,被害者家族と加害者家族の話であったのだが,文哉の再犯を境にして構造がやや変化している。後半以降は文哉がひとりでいるのに対して,その被害者家族と加害者家族という家族がそれぞれの悲しみにどう立ち向かうかという構図を取るようになり,文哉の人格や犯罪という問題は物語の中で重要性を失っていた。であるならば,はじめから文哉の人格を問題にする必要性は低かったようにも思える。

双葉と洋貴の最終話のやり取りはいくつも素晴らしいセリフがあって,見ごたえのあるシーンの連続であった。ラストシーン,二人のモノローグで手紙がやり取りされていると思いきや,手紙はおみくじのように木に巻き付けられているだけ。双葉のいう「なんらかのシステム」で,お互いの気持ちがおみくじポストを伝って伝わりますように。事件から15年掛かって再会したときのように,また15年掛かったとしても,何年かかっても,また二人の手がつながれることがありますようにと,そう願う。

神様のカルテ(2011)

櫻井翔主演、宮崎あおい池脇千鶴他。
原作小説の映画化。わりと良い映像化だったと思います。
はじめにキャスト発表されたとき、嵐から一止を選ぶなら二宮かなと思った。「拝啓、父上様」で披露していた独特の言い回しのモノローグが頭に残っていて、原作の漱石調の一止もやれるんじゃないかと思ったから。
結果から言えば、櫻井はよくがんばったと思う。彼なりに栗原一止を作り上げており、原作で描かれたややファンタジーがかった主人公を実際の人物として造形していた。
宮崎あおいが演じたのはその一止の妻榛名であったが、原作ではあまり登場しない。映画でも出ずっぱりということはなかったが、原作の登場シーンをできるだけ膨らませており、出番が少ないと感じることはない。宮崎を使うからにはこれくらいはスクリーンに出したいという意向が垣間見えるが、悪くない。
医療ドラマであり夫婦の物語であり、さらに一止の住処における友情の物語でもある。一止が学生時代から暮らしている旅館を改装した下宿には、栗原夫婦のほかには自称画家の伯爵と、自称学生の学士が暮らしている。彼らとの交流については原作小説の方が分かりやすく、映画では尺が足りていない印象を受ける。
医療ドラマとしては内科的治療を主に置いており地味な題材である。派手な手術の様子は一切登場しない。その穏やかさもどこかでドラマに温もりを与えている。音楽も秀逸。原作小説はPart2が発刊されているが、映画のラストでは無視できないオリジナルエンドが用意されており、このまま映画でPart2はやりにくそう。Part2ははじめからやらんということかな?

ところで宮崎はNHKでSPドラマ「蝶々さん」が発表されている。ここでも池脇との共演とあって楽しみにしたい。