いらぬ心配?

医師によるいくつかのブログで、奈良で起こった妊婦の流産(死産?)の件が取り上げられていたのを読んだが、妊婦自身の準備不足を一因としている記事が多かった。そもそも妊娠が本当に原因なのかどうか分からない以上、病院としては慎重にならざるをえないので、簡単に受け入れることはできないだろうという主張には、なるほどと思った。深夜2時という時間帯も不幸だったと思う。残念なことだった。
さて、このような反発的反応は、マスコミの「医師・病院が犯人である」という報道に対して、防衛的に発しているものだと思う。これ以上、むやみに医療を叩いてくれるなと、医療体制を崩壊させるなという叫びであると思う。なにより、このようなことが続けば医療が脆弱になり、いずれは本物の医療ミスを引き起こしかねないのではないか(今回のケースも昨今の産科叩きと無関係ではないだろう)。
しかしこれらの記事が当事者の目に触れたら、その人を強く傷つけるのではないかと、少し心配している。いらぬ心配だろうか。多くの記事には妊婦に対する配慮も見られるし、マスコミを批判する内容であることは承知している。しかしマスコミを批判するためには、妊婦に関する記述を避けられない。本人にしてみれば「おまえが悪い」の大合唱に聞こえるのではないか。おそらくそんなことは、本人が一番感じているのではないか。当事者がみずから語ったのだとしたら、これも仕方ないのだろうか。せめて目に触れなければいいと思う。
マスコミはこうして「医療」批判を報道することで、間接的に当事者をも批判の渦に巻き込んでいるのではないか。それは当事者が了解していることなのか。そんなことは関係ないのか。ネットでの批判など取るに足らないことと認識しているのか。変なことを言うが、僕はマスコミが「たらい回し」「受入拒否」のような表現を使い、医療を叩く目的を持って報道した以上、徹底的に当事者を擁護し続けるべきだと思う。それとは別に、マスコミ自身が崩壊させた医療の現状を報道するのは当然のことだが、手のひらを返し、このケースは患者が悪かったなどと言いだしたら、いよいよ絶望的な気分にさせられてしまう。