告白

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「周りはバカばかり」と悦にひたる中高生というのは、珍しいものではないと自分は思っている。家庭に、親に守られながら、大きな挫折もなく育った自分自身が、そのような高校生だったからだ。中学生のころは、友人も多く、自分がバカをやるほうだったが、高校に進学してから、役割が変わった。役割が変わった理由はいくつかあるのだろうけれど、環境が変わったという一言で説明できると思う。残念ながらこの症状は高校生である間はずっと続いていた。高校生の自分は、勉強のできる友人が何人かいたが、わいわいと騒ぐことはなく、静かに読書をして過ごしていた。これは根本的にはいまも同じで、飲み会で騒ぐのも苦手なタイプである。そうして、わいわいと騒いでいる同級生を見下していた。
屈折、と呼ぶほどのものではないと思う。自分の場合は、他者を見下すのにそこまでの意味はなかった。青春を謳歌している同級生に対する嫉妬、というほどのものですらなかったと思う。これが共学校だと、青春の意味合いが主に男女交際に置き換え可能であることから、そのフィールドに立てない時点で合理化を引き起こしやすいと想像されるが、男子校に通っていた自分は、その意味で、そこまで劣等感を感じさせられる環境にはなかった。バカをできない役割を取得してしまったため、周りを見下すことにしたのではないかと、いまは思っている。「周りはバカばかり」と悦にひたることで、何か問題を引き起こしたわけではないし、それ自体は中二病と切り捨ててよいと思う。
「告白」では、この中二病にメスを入れている。この試みが個人的に面白かった。ミステリーや、実際の事件報道で問題となる少年の屈折は、僕の中二病と同じに扱われるものではないと、一見思ってしまう。しかし、はたしてそうだろうか。少年の「心の闇」を扱った作品の多くは、屈折を犯罪の動機としてカタルシスを得たり、問題提起としており、そもそも心の闇だと取り上げることについて、真正面から否定し、ここまでしっかり小説に落とし込んだものを読んだことがなかったので、その点において本書には価値があると思うし、十分にメッセージを拾うことができる。ただし、第1章から、いろいろな問題提起が詰め合わされているため、すべてに取っ掛かりがある分、印象がばらけてしまい、何が言いたかったのかと感じてしまう読者もいただろうと思う。