大人が不在の社会 ラスト・フレンズ

長澤まさみ強化月間のためか、ラスト・フレンズを再放送している。DVを軸に据えた若者ドラマとして、そのテーマに挑む姿勢を評価できる一方、「大人」が不在であることにとても違和感を覚えるし、いらいらしてしまう。「そこは警察呼べよ」と何度も言いたくなるのである。しかし、これをリアルではない、と切り捨てることは難しい。登場する若者たちはみんな二十歳を超えているが、それぞれが社会的な資源が少ない状況にあるため、寄り添うように「シェアハウス」という形を取って守り合っている構図にある。社会人である、いい年をした彼らが、早々に警察に助けを求めないのは、やはり違和感が残るが、実はこういったことは、案外少なくないはずだと僕は思っている。それは民事不介入だから、という認識に基づくものですらなく、「思いつかない」という、大人との距離の問題であるように感じる。
いわゆるティーンネイジャーでは、この傾向はかなり強い。特に不良性の高いグループやその周辺だと、その根底には、大人に対する不信感があったりするが、それゆえか、彼らの認識している社会では、大人に相談することなど選択肢としてはじめから存在していない。暴走族の兄ちゃんなんかは、お巡りさんや白バイ隊員と携帯の番号を交換したりしていて、「困ったことがあったら電話しておいで」などと言われているはずだが、これも、大人として認識されている以上は、彼らから相談など受けようがない。彼らが相談するのは大人でも親でもなく、「仲間」や「友達」なのである。
被害者にとっても大人は遠い存在であることは珍しくないし、そのために事態が深刻になって、ようやく警察沙汰になったときには大事になっているということが、若者の関わっている事件では起こりやすいのだろう。