悪人(2010)

昨日は「オカンの嫁入り」を午前中に見て、レイトで「悪人」を見るという映画2本立てデー。

悪人(上) (朝日文庫)

悪人(上) (朝日文庫)

悪人(下) (朝日文庫)

悪人(下) (朝日文庫)

李相日監督作品。妻夫木聡深津絵里主演。共演は岡田将生満島ひかり樹木希林柄本明ほか。吉田修一原作。
この映画には、こういう事件が起こるとしたら、こういう背景はありうると思わせるリアリティがある。発展が望めないさびれた老人ばかりの街に閉じこめられ、一縷の望みを抱いて出会い系サイトで出会いを求める。妻夫木と深津は、形は違うが、自分をそこから救い出してくれる王子様を探しているようなものだ。一方、都会に出て「自分はうまくやれてる」と思いこみ、道を誤ったのが被害者の満島。彼女が殺害されるきっかけとなる言動も、それを聞いた妻夫木の反応も、そして行動も、ドキュメンタリーかと思うくらい生々しい。久石譲による不安定な、先行きが不透明な音楽がそれを彩る。
何が悪か、というのはここ10年くらいメジャーなテーマだったように思う。セプテンバーイレブンも、そういうもののひとつだろう。テロリストはわかりやすい悪である。公開が9.11だったのも示唆的に思うが、おそらく偶然だろう。
出会い系サイトで知り合った男女が事件に巻き込まれ、テレビで報道されることが多くなった。その前は援助交際だった。被害にあった少女は被害者ではあるが、世間ではそう受け止められなかった。自らの意思で道を踏み外し、犯罪被害にあった人に対して、世間はそう優しくすることはできない。そういう生き方を肯定することは、他者への、子供へのメッセージとなるから。道を踏み外して欲しくないから。まるで教訓のように消費されてきた。
ただ、樹木希林がパンフレットで、自分に隙があるために他人に罪を犯させてしまうのも無自覚な悪なんじゃないか、と述べていて、そこまで言っちゃうのは違うんじゃないかと感じる。性悪説に立つとそう言いたくなる気持ちも理解するけれど。無知や隙を犯罪の原因として悪と断ずるのなら、子供が犯罪被害に遭うのは当然であるという主張になってしまう。まぁ、欧米なんかでは比較的そういう風潮があるため、登下校はスクールバスだったりするのだが…。それでも、無知や隙を悪とするのには賛同できない。それはどうしても加害者を正当化するために用いられてしまうだろうから。
おそらくどこのレビューでも引用されていると思うのだが、柄本明のセリフはこの映画の登場人物すべての象徴であるので、記しておきたい。柄本の演技が個人的にもっとも胸に突き刺さった。間違いなく傑作である。

あんた、大切な人はおるね?


その人の幸せな様子を思うだけで、自分までうれしくなってくるような人は。


いまの世の中、大切な人もおらん人間が多すぎる。
自分には失うものがないち思い込んで、
それで強くなった気になっとう。
だけんやろ、自分が余裕のある人間て思いくさって、
失ったり、欲しがったりする人間を、
馬鹿にした目で眺めとう。


そうじゃないとよ。
それじゃ人間は駄目とよ。