リアルの延長としてのネット

いわゆるプロフであるとか、高校生のネットの使い方は日常を広げるためのツールなのだなと感じることがある。僕にとってはネットはリアルの延長だけど、日常の自分とは切り離されたところだ。別の人格とはいわないまでも、かなりコントロールして物事を書いており、自己開示ではなく、自己呈示の側面が強い。一方、高校生を見ていると、彼らは自己開示を目的としており、つまり、自分の本質をもっと知って欲しいという動機のもとにプロフやブログが使われているように思う。本当の自分を晒さなければ、本当に自分を理解してくれる人かどうか判断できないという考えがあるのかもしれない。


メールでダイレクトに「おまえおかしいよ」「きもちわるいよ」という内容が送られてくるという。匿名でやるなんて卑怯でやり方が歪んでいるという考え方もあるだろう。しかし僕の聞いた話は、フリーメールが使われたということではない。本人の携帯のアドレスから送信されている。アドレスの交換もしていたので、受信した子どもには相手の名前が表示される。
目的がわからない。そう思うことを一切やめろというのは、無理な話であると思うが、それはそれとして、自分の中でそっと思っていたり、数人で陰口として共有すればいいことであり、なぜ当人に伝えることになるのだろうか。いやがらせなのだろうか。なんだろう、その攻撃性は。実際に面と向かって言うのではなく、メールという手段が選ばれるのは、もちろんメールというツールが存在するのだから、使ってやれという以外に理由はないのだろう。しかし、メールというツールは、お互いのアドレスが端末に登録されている場合、面と向かって言葉を交わすのとどれほど違うだろうか。どんな暴言を吐いたところで、相手から拳は飛んでこないが、それは次に会ったときのことを保証しない。匿名でこの類のことをするのは卑怯であるが、意図がいやがらせであることはわかる。自分の身分を明かした上でメールで悪態をつくという行為は、その動機の部分に、匿名であるとき以上の歪みを感じさせる。