子どもと向き合わずに、彼らを知ろうとする

ゲーム脳であるとか、子どもの教育に関する啓蒙書(たとえばプレジデントファミリーという気持ちわるい雑誌がある)とか、そういうものがもてはやされるのは、結局のところ、目の前の子どもから大人が目をそらし、どこにいるのかも分からない「典型」を相手にしているということだろう。子どもの考えていることが分からない、と不安になり、知りたいと考えるのは自然なことだと思うが、手を伸ばすのが書籍だとしたら、もはやそれは目の前の子どもを分かろうとしているとはいえない。その本は、一行もあなたの子どものことは書いていない。目の前にいる子どものことを知ろうと望むのならば、その子どもを見て、会話をして、知っていくしかない。
ふだんから一緒にいるのだから、なんでも分かって当然だとは思わない。それでも分からないことは多い。分からないことは多くてよい。それはまったく恐ろしいことではない。そして何よりも、それ以上に子どもを知る方法など、存在しない。